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マインドフルネスについて




 一生使える!マインドフルネス

空前のブームになりつつあるマインドフルネス。一方で、「聞いたことはあるけどよくわからない」「自分なりにやってみているけれど今いち分からない」・・・そんな声もよく聞きます。

私たちの生活や生活、さらには人生においてマインドフルネスはどのような意味を持つのでしょうか。

現在マインドフルネスは、ピュアマインドフルネスと臨床マインドフルネスに大別されます。

臨床マインドフルネス

「新井君、マインドフルネスって知ってる?」今から遡ること約14年前、母校の大学院で助手になった年に新しく赴任された臨床心理学専攻の先生に声をかけられました。ACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)を専門にしておられ、その中でマインドフルネスという概念があることを教えてくださったのでした。

当時から、個人的にも仏教や瞑想に関心があり、仏教と認知科学の接点に関わるセミナーにも参加し、空と縁起、止観瞑想や真言密教に慣れ親しんでいた私にとって、仏教の教えや瞑想から着想を得たものが心理療法として活かされ、「マインドフルネス」という言葉として普及し始めているということに、少しだけ驚いたのを今でも覚えています。

その後東京認知行動療法アカデミーという場で、熊野宏昭先生によるACTの講義や実習を学ぶ機会を得たり、ジョン・カバットジン博士のMBSR(マインドフルネスストレス低減法)について知り、独習で8週間プログラムを体験し、仏教瞑想のみならず以前から取り組んでいたハタ・ヨーガとの接点も感じたり、さらにはDBT(弁証法的行動療法)の中核にも据えられているマインドフルネスのトレーニングを受けたことにより、「臨床」である限り当然のことではありますが、うつ、不安や感情調節困難など対象や状況によって異なるマウンドフルネスの態度と方法があり、その人その人に合ったものを提供する必要性を改めて感じるようになりました。

ピュア・マインドフルネス

マインドフルネスをめぐる私にとっての大きな転換点は、世界的禅僧であるティク・ナット・ハン師が提唱されているマインドフルネスとの出会いでした。

2005年の「医療・心理職のためのマインドフルネス研修会」(講師はプラムヴィレッジ僧侶)から始まり、「これまで知っていた仏教やマインドフルネスと違う」何かを感じ、2016年に富士山麓リトリート(ティク・ナット・ハンの教えを学ぶマインドフル・リトリート)に参加したことにより、大きな衝撃を受けることになります。

従来の臨床マインドフルネスや仏教瞑想に比べても、より自由度が高く、まさにどのような人にとっても取り組み

やすさを感じさせるものでした。マインドフル体操、座る瞑想、歩く瞑想、食べる瞑想、歌う瞑想、話すマインドフルネス・・・「ああそれでいいんだ」とほっとする、肩の力が抜ける感覚を何度も体験することになりました。そこには自分や他人を労りの心、慈しみを向けるコンパッションも溶け込んでいるのでした。

これは同時に、マインドフルネスに興味・関心を持つ患者さんやクライアントさんにとっても「ああそれでいいんだ」と肩の力が抜ける体験と実践しやすさにもつながっていきました。

さらにティク・ナット・ハン先生のマインドフルネスには、そうした取り組みやすさだけでなく、物事や自分を「深く観る」ための法話や話し合いも必要不可欠なものとなっています。こうしたことは当然ながら空と縁起についての端的な説明と通じるものであり、自分の心に起きていることについて、腑に落ちる体験的理解が促されます。

両方の良さを活かす

上記の通り、マインドフルネスは、端的に言うと仏教の教えを活かしたもの、また方法論を医療や心理療法に活かしたものに分かれます。

そして、両方を学び、実践してきた立場から、約11年間に渡る医療現場での心理カウンセリング、リワークプログラム(4年間で200回以上のマインドフルネスプログラムを実施や、外部研修会(「研究者のメンタルヘルス」講演等)などにおいて、私は無理に分けることはせずに両方の考え方や方法を紹介し、マインドフルネスを身につけてもらうことをしてきました。

なぜならばそれが、自然の理、人間の理にかなうと感じるからです。

マインドフルネスでは「今ここで」「あるがままに気づく」ことが大切とされていますが、

気づいた先に自らがどのような選択をするのか、ということもまた重要です。

さらには、気づく前に何を選択するのかということも自分が進む方向性を左右します。

マインドフルネスを通じて、心の平安を保つ、自分らしさを活かして仕事や生活をしていく

ヒントを得られるような気づきの機会であると考えています。


ゆったりとした空間で、瞬間瞬間を味わう

呼吸、歩く、食べる、飲む・・・様々な日常の動作にマインドフルネスの実践の機会は

隠れています。マインドフルネスはないものを探すのではなく、そこにあるのに気づいて

いなかったものに気づきなおす取り組みと言ってもいいのではないかと私は感じています。

これは理想論や道徳ではなく、実際に行ってみて初めて気づけることも多いです。

一度気づいて成功ということでもありません。同じようなことをしていても、また同じような体験をしたとしても、それは同一ではありません。

しかし私たちは、「またあの集中した感覚を得たい」「あの心地よい感覚を体験したい」というような再現性も含め理想的な体験を追い求めるあまり、結果として今ここにありのままに気づくことから離れてしまいがちです。

これは特に個人的な体験によるところが多いですが、心当たりのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。それでも、日々、瞬間瞬間、心新たに気づきが得られ、心が豊かになるチャンスに開かれていることは確かです。

そしてここで身につけたマインドフルネスは、自分の日常に活かせるのみならず、身近な人たちにもおすそ分けできるものでもあります。そうして、マインドフルネスの実践を通じて、心の豊かさが少しずつ広がっていくことにもつながっていくと考えています。





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